『月と太陽』

Between 8th and 9th Life

( After『ONLY LONELY MY GIRL』)

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(画:ヤキモチおかき / Twitter


神戸しお(ハッピーシュガーライフ)× タマ(WIXOSSシリーズ
時系列は以下と仮定します。

▼8th Life:『砂糖少女は気づかない』

▼Xth Life:『ONLY LONELY MY GIRL』

※公式ファンブック『恋色ライフログ』収録

▼本稿

※WIXOSS側は劇場版のラストシーン直前あたり

▼9th Life:『砂糖少女の原材料』


- 0 -

 さとちゃんこと、お城の主はいつも「大好き」を欠かさない。
 見てくれる。話してくれる。おいしいご飯をくれる。抱きしめてくれる。そばにいるだけで胸が温かく、触ればふわふわで思わず飛び込みたくなるのに、最近はいろんな玩具までくれる。
 どれも嬉しい。ぜんぶ楽しくて甘い感じがする。でも、こんなにもらってばかりでいいのかな、とも思う。自分の中の「大好き」が置いていかれるようで、胸のあたりが時々少し苦しくなる。
 一緒がいい。
 一緒がいいのに……難しい。

 そんな彼女は昨晩、またいろいろ買ってきた。じゃん、と声に出して広げた先には、絵本に積み木、お菓子のぬいぐるみなど盛りだくさん。
 わっと驚き、あふれた嬉しさは戸惑いを覆い隠していっぱいになった。「さとちゃん、ありがとー!」と、満面の笑顔で。何度目か分からない、何度言っても物足りない言葉だけど、彼女の「大好き」に負けないよう、せいいっぱい伝えたかった。
 肩で触れ合った。視線を求めては、くすぐったい甘さを交わし合った。受け入れ合う中で……ふと玩具に混じる、とある小箱が目を引いた。
「うん? ……うぃく、ろ……」
「あぁ、それはサンプル……、えっと……お店がね、オマケしてくれたの」
「へー。開けてもいい?」
「うん。でも、しおちゃんには……」
「わー! きれーな絵」
 思わず身を乗り出していた。
 それはカードのようだった。大きさはトランプに近いが、中身はまるで違った。変わった記号と文章。絵柄に女の子ばかり続くので、「ぜんぶクイーンなの?」と訊くと、優しい笑顔が返ってきた。
 意味はほとんど分からないが、キラキラの絵にすっと惹かれた。中でもリボンを着けた白い少女と目が合った。
 名前はたぶん──
「タマ……?」

 この出会いはたまたま。けれど、不思議なきらめきを帯びていて。


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 目を覚ますと、世界は真っ黒だった。
 いつもの昼下がり、窓辺の陽だまりにいたはずだ。それが一転してモノクロームにぽつり、灰色の自分だけがある。壁も天井もない。時間で目が慣れることはなく、夜の気配も見当たらない。
「どこ……?」
 地面らしき感触はあるのに立っている気がしない。大好きな温もりも、においも……。五感から不安がじわじわと湧き上がり、
「さとちゃん……?」
 そっと、頼れる名を呼んだ。
 両手を伸ばし、探りながら繰り返す。さとちゃん、さとちゃん、と──声色は次第に強く、虚空に向かって何度も訴える。
 ふらつく身体。方向も定まらない。何かを恐れるようにたびたび振り返る。おぼつかない足は、はたして進んでいるのかどうか……。
 孤独と焦燥にいよいよ感極まり、もういちど名前を呼んだ。大きな声だった。けれど反響さえなく、かの同居人は現れなかった。
 その場にへたり込む。
 濡れた目を両手で覆い、うなだれて小さくなる。
 自分はまた間違えたのだろうか。知らず知らず、いけない事を……こんな、すべて失うくらいに……。
 頭が軋み、ぐるぐると思考が歪んだ。
「さとちゃ……」
 ねじれた意識で、
「さと、ちゃん!」
 すがるように。
 本気で泣く思いだった。怖さと寂しさで、どうしようもなかった。それでも決壊の間際、かろうじて声を飲み込んだのは、淡い光のおかげだった。
(あ……)
 指の隙間からぼんやりと小瓶が見えた。胸の、心の器だ。自分のそれを見るのは初めてだろうか。世界は黒く、身体もこんなに灰色なのに……日々、惜しみなくそそがれた瓶は、多彩な甘いもので満ちていた。
 ひとつ取り出し、含んでみる。
 たちまち胸が温かくなり、全身が色付いた。肌の血色。服の青。灯った火を噛みしめながら、ゆっくり呼吸を整える。
「はぁ……」
 正直まだ怖い。……けど、たぶん大丈夫。
 勇気はぜんぜん足りないけれど……
「帰らなきゃ」
 あの、お城に。
 少なくともこの甘さがある限り、自分は歩けるはずだ。たとえ駄目でも名前を呼び続けよう。彼女が捨て置くはずないから。あの時のように、きっときっと探し回って──

「だぁれ?」

 不意に訊かれ、弾かれたように顔を上げた。
 少女が立っていた。目の前に、ちゃんと色付いて、ひとり。いつの間にかそこにいて、不思議そうに小首をかしげていた。
 立ち上がり、見据える。
 顔立ちは幼いが、背丈はやや大きい。白い服に、白い髪──リボンで結わえた左右の房は自分よりずっと長く、所作に合わせてゆらゆらと気まぐれに揺れている。
 ──知っている。だってこの子は、
「タマ、ちゃん……」
 こくり。少女は首肯した。
 途端、
「ね、ねぇ! さとちゃん知らない? 優しくて、ふわふわで柔らかくって、いつも、ぎゅーってしてくれて……えっと……髪、ながいの! このくらい! ぽんぽん丸くって、かあいーの留めてて、んーと……」
 問いかけは矢継ぎ早に。身振り手振り。距離まで詰めた。思い描く姿のために、懸命に言葉を探し、探して……やがて息を切らすように失速した。
 タマの表情は変わらない。目をくりくりさせながら首を左右に、髪と耳飾りを揺らしている。
「うん……。知らない、よね……」
 落胆のどこかで腑に落ちた。
 雑踏の気配を思い出す。外には本当にたくさんの人がいて、だからこそ知っているとは限らなくて……。
 目元を袖で拭い、不器用に笑った。今はこれだけ。ささやかな安堵に、せめてもの笑顔。
「しお……」
「うん?」
「しお、っていうの?」
 ……はて。いつ名乗っただろう。
 遅れて頷くと、タマは微笑み、名前を呼んだ。呼びかけるたびにトーンを変え、いろんな「しお」を味わいながら観察するように、ぐるり一周。まわりを歩いて再び向き合った。
 右手が上がる。まっすぐに、腰のあたりを指差して止まると、
「しお、光ってる」
「……あれ?」
 言われてみれば、スカートの端がほんのり温かい。
 ポケットを探ると……出てきたのは見慣れたトランプセットだった。
「にゃあ! しおも持ってるんだ! ばとるー」
 タマの心が踊り出す。胸元で両手のぐーを作る様。その目はキラキラと輝き、髪はさながら尻尾のようにあふれる感情を物語っている。
「ね、五枚引いて」
 言われるまま山札をめくると、2・8・4・Q・3……。どれもダイヤのカードだった。
 再びタマが鳴いた。キラリ、姿が少し変わり、満足そうにぴょんとジャンプして見せた。
「グロウできた! 行こう、しお!」
 手を引かれ、歩き出す。気付けば真っ暗なはずの世界に、白く、ひとすじの道ができていた。先は闇に溶けて見えないけれど、希望のようにも思える。
 タマの柔らかさ。その温もり。
 強張っていた身体がちょっとだけほぐれ、応えるように自分もはにかんで見せた。


- 2 -

 少女はタマ。自分はその名前しか知らない。
 タマも同じだろうか。それでもこうして出会い、身を寄せ合って話していると不思議なつながりを感じる。ずっと前から知っているような、違うような……。
 声は共鳴し、耳をくすぐって心に届く。笑みを交わせば、なんだか鏡を見ているようだ。

 自分に、もし──

 小さくかぶりを振る。
 考えてはいけない気がしたので、それ以上はやめた。

 会話から察するに、彼女も記憶が曖昧らしい。この真っ暗な世界も知っているようで微妙に違うのか、結局は「わかんない」の一言にぶつかってしまう。ただ、そこに困惑はない。臆さず、喜々と──こんな事なんでもないよ、というような笑顔で「わかんない」と言い放つ。それがちょっと可笑しくて、頼もしかった。
 見通しの悪い道をかろやかに進んでいく。ステップでも踏むように、呼吸に合わせて足並みがそろう。
 先に止まったのはタマだった。
「タマちゃん? ……わっ !? 」
 じり、と後ずさる。
 急に道が途切れていた。穴か崖か分からないが、目の前に大きな闇がぽっかり口を開けていた。
 恐る恐る覗き込むも、何も見えない。感触もないのでやはり通れず、飛び越えるには遠すぎる。迂回はできるかもしれないが、暗がりをどこまで行けば良いのか……。
「どうしよう……。渡れそう?」
「んー」
 思案の顔が横にふるふる。仕方ない。空でも飛べたら良いのだけれど。
 やむなく辺りを探っていると……道端に変わった物を見つけた。
 板のようなオブジェが数段、無造作に積み上がっている。いくつかは傾き、すっかり裏向きの物もある。個々は皆、背丈ほどの大きさで、表面にはところどころに曲がりくねった白線が見える。それはまるで……
「大きな、パズル?」
「……しお?」
「うん。へーきだよ。だって、さとちゃんに教えてもらったから!」
 そうだ、自分は知っている。気持ちに任せて身近なピースに取り掛かる。一端に触れ、掴むというよりは、しがみつくように角度を変えては挑戦する。……しかし、一向に動く様子はない。
 それは奇妙な手応えだった。見た目ほど重くない気がするのにびくともしない。力が散ってしまうような、意志が届かないような感じで、もどかしさに掛け声ばかり繰り返す。
「えい! えいっ! えーい! ……だめだぁ……」
 顔を上げるや、目が合った。
「タマもする!」
 ピースを挟んでふたり。
 ぐっと力を込めると、今度は一気に浮上した。綿のようだった。思わず変な声が出て、バランスを取り直した。
 訳が分からない。こちらの驚きをよそに、タマは無邪気に笑っている。
 ためしに運んでみると、手前の岸とつながり、境目は跡形もなくすっと消えた。
 わずかに延びた白線に触れる。
 踏める。
 よし、と頷く。
「いくよ、タマちゃん!」
「にゃあ! がんばる!」
 ふたりのパズルが始まった。希望の道に、知恵と勇気を。


- 3 -

 共に意気込んだものの、タマはパズルが苦手だったのかもしれない。
 もっぱら自分がひらめいた。でも独りでは運べず、彼女がいないと駄目だった。ちょうど互いを補う形で最後のピースを埋めると、蛇のような白線が見事対岸に届いた。

 つないだ手がリズムよく揺れている。
「タマちゃん、ありがと」
「んー?」
「えっと……いっしょにいてくれて。もうあんまり怖くないよ」
「にゃあ!」
 それに難しいことも頑張った。自分の言葉と行動が、幸せの欠片を掴み取った。自信と呼ぶにはいろいろ足りないけれど、そこはかとなく元気が湧いてくる。大丈夫。胸の小瓶も潤沢だ。
 進んでいくと、何か黄色いものが見えた。近付くにつれて輪郭が浮かび出す。
(あれって……)
 小さな予感を「まさか」と笑う。それがだんだんと現実味を帯び、確信に変わった時、現れたのは一匹のヒヨコだった。
 わぁー、と声をそろえ、見上げる。本当に大きい。お風呂で一緒にプカプカしたあの子が今や道をふさぎ、壁のようにそびえ立っている。
「しお、これも知ってる?」
「う、うん……。でも……」
 どう言ったものか。元は両手にちょうどのヒヨコだ。巨獣となっては手に余る。
 押して動くか。その前に触れたらどうなるだろう。倒れたら最悪ペシャンコだ。
 考え、しばらく眺めていると……「実はさかさまで、自分たちが縮んだのでは?」と思いそうになる。いけない。
「……あれ?」
 ふと、ヒヨコの高さも変わって見えた。
 まぶたをパチパチ……錯覚じゃない。背丈が次第に低く、ゆっくりと頭が降りてくる。その見知った顔を間近で拝むと、視線はさらに落ち……地面に消える様を呆然と見送った。
 タマがぽつり。「沈んじゃった」
 はっとして、うずくまる。道端を覗くや、黒い大地の向こう側──遠ざかるヒヨコが透けて見える。
「ヒヨコさん !? 」
 あんなに大きかった身体がどんどん小さくなる。傾き始めると、ぐらぐらと荒ぶりながらいびつに離れていく。それがなんだか苦しそうに見えて、
「待って! ヒヨコさん! ヒヨコさぁん!」
 掘るように地面を掻いた。変な感触だった。パズルピースと似た手応えが、無意味だと告げていた。
 遠ざかる。落ちていく。沈み、沈んで消えていく……。
 黄色い点を両手で包んだ。──あぁ、そうだ。ここにはお湯がないから。
「……探さなきゃ」
 すっくと立ち上がり、懸命に見渡した。
 きっと何かある。パズルみたいに頑張ればきっと──。それにヒヨコもさとちゃんだ。さとちゃんのお城のものだ。お湯になれなければ、約束だって嘘になる。
 嘘に、なっちゃう。
「や……」
 苦いものを押し殺して。
 かぶりを振ってまた探す。けれど何も見つからなくて、結局またうずくまる。あぁ、なんて遠い。星のような粒を下手くそな言葉で見送ってしまう。さとちゃんのヒヨコ。想いの欠片。小瓶の甘いものが、あぁ……
「……タマちゃ……」
「泣いてる?」
 落ち着いた声だった。
 すぐそばで、しゃがんだタマがまっすぐこちらを見つめていた。今ひとつ飲み込めず、けれどたっぷりの優しさを秘めながら、じっと瞳を覗いていた。
 その顔が、ぱっと晴れる。
「しお、またドローして!」
「……え?」
「五枚。……ね!」
「……」
 ポケットにはトランプの束。
 促されるままカードを引くと、6・K・1・3・J……。どれも葉っぱのクローバーだった。
 タマの声は高らかに。腰に翼を携え、ゆったりとした袖は手首を羽根のように彩る。気付けば甘いひな鳥がいた。その手に光をぽん、と放ち、大地に向けると──それぞれが柔らかな弧を描き、奥底に飛んでいった。
 消えかけの星が大きくなる。明滅する光がヒヨコを包んで浮き上がる。
「うわぁー! すごい、すごい!」
 やがて足元まで来ると、そのままふたりを背に乗せた。勢いまかせに地面まで離れ、一行は空へと完全に飛び立った。
 気分は風船だ。弾力ある触れ心地に、お尻と足がふわふわする。
 それに何度「すごい」と言っただろう。もう分からない。ふたり笑い合いながら、じゃれたり跳ねたりしている。遠のく白い道をよそに、見えないどこかへ飛んでいく。
「ふぅ……。ほんと、タマちゃんはすごいねー」
「うん? タマが?」
 やはり、きょとんとしている。そうだろう。彼女にとっては魔法みたいな力も全部──
「しおもすごい!」
「え……?」
「タマ、こんなに強くなった! えへへー」
「……そっか」
 ポケットに触れながら、ほっとする自分がいた。
 温かいな、と思う。背も髪もにおいもあの人とは違うけれど、確かな甘さを感じる。交わしたすべての端々に感情が芽吹き、わくわくを生み出しているのが分かる。
 この気持ちは何だろう。名前はあるのだろうか。
 つながりは。
 意味は。
「……」
 遠見だろうか。背を向けるタマの顔はよく見えない。楽しげな気配だけが伝わってくる。
 ポケットをさする。感触を確かめる。
「……うらない……」
「んー?」
 タマはひょいと向き直った。
 独り言などお構いなく──振りまく笑顔は胸にすとんと落ち、「占うまでも……」と告げている。
 そうかもしれない。でも、この不思議に触れてみたい。
 大きなヒヨコに乗りながら……なんて奇異も背を押して、
「ねぇ、あいしょーって知ってる?」

 ゆるりと始めた相性占い。覚えたことをするのは楽しい。たとえ分かりきった答えでも、一緒ならやっぱり嬉しい。
 ぺたんと座るタマの前で、山札から四枚、ヒヨコの背に伏せる。祈りをこめて……、一枚ずつめくっていく。
「うん……、うん?」
 二枚目を晒したところで手を止めた。同じ札だった。
 そんなはずない。戸惑いながらも続けると……すべてが同じ物だった。数字も色も記号も同じ、ハートの3。タマを差し置いて困惑し、カードを何度も確認する。
「しお……?」
「ううん。へーき。もいっかいやるね」
 混ぜ直した山札を置く。
 しかし何度やっても同じだった。最初の目こそ違っても、残りは三連続。結果、見事な写し絵が並んでしまう。
「うぅ……ぜんぶおんなじになっちゃう……」
「おんなじ? うん……? 四枚くらい、へーきだよ?」
「えー?」
 このカードも変だけど、タマの知るトランプは違うのだろうか。なら、占いも初めから……。
 ため息まじりに、ゆるりと沈黙した。
 すっかり止まった手をタマが見つめている。顔とを見比べ、小首をかしげ、ハートの一枚に手をのばす。するとカードは優しく光り、ふわりと浮かび出した。残りも連れて、今までめくったカードたちがいっせいに彼女を囲むと──その胸へ、またたく間に消えた。
「エナ、いっぱい!」
 そう微笑んで、心地よさそうに空を仰ぐ。両手をぐっと伸ばし、腰の翼をぱたぱたと動かして見せる。
 傍らには、だいぶ減った山札。
 近くにいて何となく分かる。あのすごい力は、もっとすごくなっている。ヒヨコの時よりずっと強く、どこまでも行けそうな──どこにだって行ってしまいそうな感じがする。
 それでも彼女はここにいて。知らない誰かには、決してならなくて……。
 近付き、そっと胸に頬寄せた。
 装飾の柔らかなプレート越しにも慎ましさが分かる。自分と似た、つぶれる心配のない膨らみから心地よい鼓動が聞こえる。
 甘い音色が、とくん、とくん……。
 それがだんだん──どうしてだか不思議とぽんぽん棒のリズムに思えてきて、こっそり苦笑した。笑みは次第に堰を切り、大きく膨らんで、とうとう声を上げた。
 可笑しかった。だって世界はこんなに暗いのに。そのはずなのに。
「しお、へんなのー」
 そう言いながらも、ぎゅっと抱きしめてくれて。
「らんらんるー」
「らんらん、るぅ?」
 ヒヨコは闇を進んでいく。


- 4 -

 クレヨンみたいに黒い空。相変わらずの景色だけれど、それなりに長く飛んでいた気がする。
 時間につれてヒヨコはだんだん小さくなった。併せて高度も下がりだし、開けた場所に着地すると、両手にすっぽり収まった。
「ヒヨコさん、ありがとう!」
「にゃあ!」
 すると役目を終えたのか、ぽん、と消え──ほのかに漂う湯気が温もりだけを残していった。
 一面の白い広場にふたり。見たところ何もなく、道も続いていない。ゴールと呼ぶには曖昧で、漠然と最果ての空気が漂っている。
 ためしに歩いたり触れたりとしてみたが、変化はない。これまでと違うのだろうか。なんの発見もない。
「んー、どうしよっかー」
 手持ち無沙汰に、タマの前を横切った時だった。
 ぐい、と手を引かれた。その唐突さによろめき、振り返る。
「タマちゃ──?」
 いなかった。
 代わりに背の高い誰かが手首を掴んでいた。空と同じか、それ以上の暗闇で顔を陰に染め、静かに、獣みたいに佇んでいた。
 とっさに退くも離れない。細指が鎖のようだ。拘束は荒々しく、痕を刻む勢いで絡みついてくる。
 その長い髪。よれた服。
 スカートから伸びる、痩せた素足。

 ──この人は……

 頭の中で、ざらついた音がする。どんどん重なる。広がっていく。片耳をふさいでも変わらず、わんわんと響く不快感に、わずかな意志が削られていく。
「タマちゃん、どこ……?」
 軋む頭を押さえ、探した。姿はなかった。ひどく見通しの良い世界で、彼女だけがどこにもいなかった。
 分からない。分からないけど置いていかれた。そう思いたくないのに独りになってしまった。
 胸底が急に寒く、じくじくと何かが滲む。
「いや……、やぁ……」
 痛くて。
 怖くて。
 周囲の闇はいっそう深く、墨塗りを背景に、女の顔がゆっくりと近付き──告げる。

「許さないから」

 たまらず息を呑んだ。
 両足の力が抜け、片手を吊られたまま崩れ落ちる。
 動悸がする。体中が震え、吐息まで短く、ぎこちない。腕はこんなに強くつながっているのに、言いようのない寂しさが根っこをみるみる腐らせていく。
「うぅ……」
 助けて、と言いかけてやめた。名前はどちらも呼べなかった。
 だらしなく吊られながら苦味にえずく。髪を乱す手は、顔や首すじとをさまよい……ぽとりと落ちる。
「わかんないよぉ……」
 ぐるぐる……
 ぐるぐる……
 歪む思考に世界も濁る。
 どうしたらいいのか。頭の中、ぐちゃぐちゃの欠片を集めても、やっぱりぐちゃぐちゃで、鈍痛に拍車が掛かる。こめかみに響き、脈打っては苦悶する。こんなに痛いのに身体は言うことを聞かない。感情が暗く渦を巻き、全身をくまなく錆びつかせている。
 気持ち悪い──。
「ぅぐ……」
 じわり、涙が浮かぶ。ぼやけた視界。垂れ下がる手が、近くて遠い……。
「…………」
 それでも身体は色付いている。何ひとつ分からない中、この色だけは変わらずにいる。
 自分と、小瓶と、甘いもの。
「さとちゃ……」
 指先が、ぴくりと跳ねた。
 なんとか顔を上げようとする。ろくに上がらず、その先をおずおずと覗き見ると、女の胸にひび割れた瓶を見つけた。からっぽだった。
「……欲しいの?」
 小瓶をたぐる。大事な記憶を抱いて、かぼそい声を絞り出す。
「甘いの、ぜんぶあげたら……、…………」
 女は何も応えなかった。
 長い沈黙が訪れた。

 カチ、カチ、カチ、カチ……
 心の中で秒針を見つめている。壁掛け時計を思いながら、実際にはひきつった呼吸と衣擦れの音だけが聞こえる。
 あれからどのくらい経ったのか。哀しくて……切なくて……それが誰のものかだんだん分からなくなってきて、一緒に溶けてしまう気がする。

 ──アマイノ、ゼンブ……

 染み付いた言葉が消えない。繰り返し、ひっそり問いかけてくる。
(ぜんぶ……)
 全部あげたら、それは……。
 胸のリボンをくしゃりと握った。口元は静かに「ごめんなさい」を形作り、苦い笑みを含ませた。
 あげられるはずない。思い出はお城のすべてで、宝物だ。もし渡せば自分はからっぽになる。寂しさで生きられない、本当の迷子になってしまう。──当たり前のことだった。なのに、あの乾いた瓶を潤すことが救いだと思ってしまった。見た途端、何かに駆られ、取り替えなきゃいけないと……。
 心にもやが掛かっている。本音だったはずなのに、どろりとした感情が深く沈んで溜まっていく。
 勝手でごめんなさい。
 弱くて、ずるくて……、こんなにも叱られて……、でも──
「ぁ……」
 はっとした。かすかに声が聞こえた。
 耳をすまして神経をとがらせる。……もう感じない。痛みでおかしくなったのか。それでもいい。大好きなあの声が、「しおちゃん」と確かに胸に触れた。
「さとちゃん……、さとちゃん!」
 そうだ。どうしようもない時は名前を呼ぼうと決めたのだった。
 ふわふわの身体、優しいにおい、見ただけでほっとする笑顔……。思い出しては、彼方に向かって呼びかける。
 そして、

「わたし、ここだよ! さとちゃん ! ! 」

 叫んだ瞬間、バランスが崩れた。吊られた腕がふっと軽くなり、そのまま投げ出すように倒れ込んだ。
「しお、見つけた!」
 遠くからタマが駆けてくる。
 差し出された手を取るや、胸底がひどく震えた。慌ててもう片手も添え、包み込む。感触と体温。なつっこい顔。タマの存在にひとつひとつ頷いて──なんとか笑って見せると、指先にほろりと涙がこぼれた。
 辺りはまた静まり返っていた。女の姿を探したが、掴まれたはずの手首に痕はなく、タマも知らないようだった。一連の時間とやりとりが嘘のように消え、代わりに思わぬものが落ちていた。
「ババさん?」
 ジョーカーが一枚だけ。裏の絵は手持ちと同じで、サイズも合う。抜け落ちたのだろうか。そっと胸に押し当て、山札にしまい込むと、小さく息をついた。
「これでいっしょ」
「ばうんすー」
 真似するように、タマの吐息が耳をくすぐる。澄んだ目は悪戯っぽくもぜんぜん嫌じゃなくて、お返しに頬を重ねると、ふたり合わせて「にゃあ」と鳴いた。
 元気が戻ってくる。身体は動くし、痛みもない。心のもやもやは、髪や服──タマの言う「くしゃくしゃー」な部分を整える頃にはだいぶ和らいだ。
「しお!」
 指さす空を仰ぐ。一面の黒が揺らいでいる。鼓動のように、ときどき灰がかっては暗くなる。
 タマの視線に促され、続きを察してカードを引いた。札は9・10・J・Q・K……、スペードの連番だった。
 尖ったマークが黒々と、少し怖い。そんな思いを打ち消すようにタマはまばゆく成長し、ふわりと降り立った。髪のリボンは豊かな羽根に、衣装を優しくたなびかせ、まとう光輪はおひさまのように辺りを照らしている。
 その温もりに、とびきりの笑顔を乗せて、
「タマにまかせて!」
 さっと両手を広げると、全身に光を帯びた。
 羽ばたく。どこまでも高く、遠く──。黒い大空を、甘い白鳩が軌跡を描いて飛んでいく。

「アーク・オーラ ! ! 」

 瞬間、世界が割れた。
 空は軋み、亀裂がつながり、崩れ出す。その隙間から次々と光が差し込んでくる。視界は開け、中空にお城の玄関が垣間見える。
 大好きな人を待つ居場所。いろんな思いが沸き起こる。衝動は胸底をぐっと支え、両足に意志が宿る。
 降りてくるタマを駆けだし気味に出迎えた。手を掲げ、絶賛し、抱きついた。体全体で喜びを伝える一方、タマの表情は意外なほど落ち着き、さっぱりとしていた。
 そっと離れる。
 タマの振る舞いが、なんだか大人びて見える。
「どうしたの……?」
「ん……。タマ、忘れてたみたい。黒いの壊して思い出した」
 視線を追う。空は今も崩れている。明暗と濃淡の中で、キラキラと粒子が散っている。
「タマもね、行かなきゃダメなの。きっと待ってるから」
「……だいじなひと?」
「うん!」
「あいする? ひと?」
 タマはきょとんとした。やがて、にぃっと笑って見せた。それが本当にまぶしくて、つられて微笑んだ。
 なんて甘い。彼女の瓶もたくさんの想いでいっぱいだろう。
 その大切さを知っているからこそ自分と重ねてしまう。大好きな人と、ただ一緒にいたい。同じくらい、彼女の未来も祈らずにはいられない。
(……そうだ!)
 ポケットをさぐる。今度こそ上手に占えるだろうか。道中かなり減らした山札を、それでも、と握る。
 めくるのは一枚にしよう。これならおかしな心配もなく、いちばんを引き当てればいい。愛のしんぼると同じくらいの「大好き」を、タマ達にも届けたい。
 混ぜ直した山札を持ち、広げる。いびつな扇に目を凝らし、祈りをこめて……
「あ……」
 引いたのはジョーカーだった。

 ──私のかわりにハートのエースを連れてって。
 ──でも、欠けたらトランプ遊べなくなっちゃうよ?
 ──いいの。かわりはババさんにやってもらうの。

(そしたらもう、ひとりぼっちじゃない……)
 すっと目を細める。
 空白を埋める、もうひとつのひみつへーき。どうか、ふたりの想いを──
「アリガト、しお」
「わっ !? 」
 タマがカードに触れるや、ぽん、と絵柄が変わった。
 ハートのエース……間違いない。あの日、渡したお守りだ。ふんわり温かい感じで、真ん中に大きなマークが描いてある。それがさらにぽん、と弾け、今度はお絵かきセットが現れた。
 ふたりして目を丸くする。立ち尽くす自分をよそに、タマは興味深そうにノートをつついたりしている。
 なんだろう。胸が高鳴る。いつもの道具を手に、「がんばれ」と背中を押されている気がする。
「よーし!」
 色鉛筆をぎゅっと握ると、白紙に向かった。
 拙くも迷いはない。自分の服と、いつも見送るあの服と、何より流れ込んでくるタマの想いが自然と筆を走らせた。
 集中した。
 無我夢中だった。
「できた!」と声を上げ、タマが覗き込む。その顔が優しくほころんでいって……
「るぅとおんなじ!」
 ぽん、と、タマの姿も変わった。
 白い半袖に、紺のスカート。形は自分のものに似て、淡く染まった黒髪を白いシュシュで留めている。
 そのまま、じっと固まっていた。指折りかぞえたら何本か。やがて目をしばたたき、手足を眺め、髪を確かめて、ようやく振り向いた。
「るぅとおんなじ ! ! 」
 思わず吹き出してしまった。
 大人びたはずなのに、ぜんぜんそうじゃなくて。初めての制服姿でも、タマの根っこはタマだった。
 気付けば空は、抜けるように白く──。
「わぁー」
 見違えた。あれだけ暗かった場所が光であふれている。はるか先まで行き届き、温かく、安らかな空気が広がっている。キラキラが幸せで、沁み渡っていて……
 なのに、すっと笑みが引いた。
 見渡せば、より強く。タマの目も同じことを言っていた。──おしまいだね、と。柔らかな飽和の中で、はっきりと最果てを告げていた。
 熱がチリリと胸を焼く。
「タマちゃん……」
 朝の見送りみたいで、身体はふらり勝手に動いた。請うように手を伸ばし、タマの袖をつまんでいた。
「ほんとに、もう……?」
「ん……。タマ、すっごく楽しかった! 服も……これ見たら、るぅもビックリするね。えへへ……」
 胸も頭も、じんとする。急いで言葉を探したが、なかなか見つからず……ぽつぽつと吐き出すも違う気がした。何ひとつ伝えきれないのに、タマの穏やかな顔を見ていると、ほろ苦くも満ち足りて……
「うん……」
 ゆっくりと手放した。

 ──さよならの足音が聞こえる。

 視線で語り、心で受ける。無言のおしゃべりを交わしながら、抱き合い、肩を並べ……どちらともなく手をつなぐ。
 仰ぎ見る空。おのずと言葉が湧いてくる。互いの瓶を重ねるように、ふたつの心が波を打つ。
 込める祈りは……それぞれの、ちかいのことば。

 病める時も
 健やかなる時も

 喜びの時も
 悲しみの時も

 富める時も
 貧しい時も

 死がふたりを分かつまで──

 ちらりとタマを見た。その目は力強く、満足そうに彼方を見据えていた。
 記憶の欠片を思い出す。お絵かき中に見た心象に入り交じる──痛くて寂しい、赤い感じの連鎖。それが何かは知らないけれど、つらく厳しいものだったことは分かる。
 すべてを乗り越え、選び取った上でこんなふうに笑うのだ。

 いいな、と思った。

 いつか自分もこんな顔ができるだろうか。大好きな人のために、この身体は……。
 手に力がこもったのか、不意にタマが振り向いた。重ねた視線は「へーきだよ」と言うように。

「ホワイト・ホープ!」

 世界は、白に包まれていった。


- 5 -

「ん……」
 柔らかい感触。目を覚ますと、ソファーに横たわっていた。
 お城の景色だ。落ちかけた陽が、飴色の部屋に長い影を落としている。
 身じろぎ、上体を起こすとシーツが落ちた。一緒に散ったカード類をぼんやり見つめる。トランプと、もうひとつは……
「おはよ、しおちゃん」
 傍らには大切な人。
 その空いた首元を見て、自分がリボンを握っていることに気付いた。運ばれる際、無意識に掴んでしまったのだろうか。
 感情が一気に湧き上がる。願い、焦がれたないまぜの想いが全身を駆け巡り、唇を震わせる。だけど声にならなくて……ぱくぱくと口を動かすだけの自分に、彼女は優しく微笑み、両手を広げてくれた。
「さと、ちゃ……」
 胸に飛び込んだ。いっぱい感じて、ちょっぴり泣いた。何度も何度も名前を呼んで、そして──
「さとちゃん、おかえりなさい!」

 夢の記憶は曖昧だ。でも頑張って話そうと思う。小さな冒険と、連れ立った白鳩のことを。


 fin

あとがき:その解説は蛇足

お暇な方への補足。あるいは私的な備忘録。

▼『ONLY LONELY MY GIRL』の時系列

しおの発言、「私とさとちゃんは、かぞくよりもあいしょーピッタリなんだから」から『罪と罰』以降が良さそうですが、さとうが玩具を与えたのは防止策の一環なので、ここまで引っ張るのは逆に不自然と思い、この形としました。
9th Life:『砂糖少女の原材料』内の台詞にいくつか齟齬が生じますが、一応こじつけで回避できそう?
あと、先の発言は、
「私とさとちゃんは、(よく分からない)かぞく(なんか)よりも、あいしょーピッタリなんだから」
と解釈すれば通るかな?

▼WIXOSSのルール

基本的にしおの夢なので、彼女の知識がベース。そこにWIXOSSのテイストが干渉する感じ。
さらにトランプでこじつけてるので、ご覧の通りの大雑把です。雰囲気。

▼WIXOSS関連ネタ

・ポーカー役のフラッシュでグロウ(LV.0→23
・同上:スペードのストレートフラッシュでLV.4
・『宝具 マガタマ』等でヒヨコ浮上
・WIXOSSで同名カードは4枚まで
・エナチャージ
・らんらん、るう子
・フレーバーテキスト 『モダン・バウンダリー』とバウンス効果
・フレーバーテキスト 『アーク・オーラ
・フレーバーテキスト 『太陽の巫女 タマヨリヒメ
・ぽんぽん祭り

▼なんでこの二人なの?

カード繋がりと、CV:久野美咲で 『猫科少女は涙を食む』
※しお:36th Life『つながる愛』
※タマ:劇場版ラストシーン
アオ、いいよね。

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